連載「重量木骨で家を建てる」

本当の家づくりに必要な心得「重量木骨(SE構法)で家を建てる」

なぜ、私たち「つくり手の会」会員は、家づくりの工法に「重量木骨(SE構法)」を選んだのか。
「重量木骨(SE構法)」をおすすめする理由を連載で綴っていきます。

第一章 「言葉だけで伝えきれないこと その2」   2007.3.16(FRI)

 この施設を訪れたのには、私なりの理由がありました。現在は東京都内で年間二十数棟の新築工事やリフォーム工事を行なう工務店を経営しています。

 住宅の世界に入るきっかけになったのは、鉄鋼系の建材メーカーに勤務していた時のことでした。担当していた「新製品」の営業開発の仕事が上手くいかず、私が所属していた部門が会社内でも四面楚歌の状況が続いていました。ちょうどバブル景気が終焉を迎えた時期に重なり、前振りだけは華々しい事業でしたが、どんなに試行錯誤しても投資額の規模に見合う収益を上げられる見込みが立たない状況が続いていました。

 一体誰が責任を取るのか、曖昧な経営判断の時期が続く間、自分の意思とは無関係に周囲の企業を巻き込んでしまったのです。事業再構築か撤退か、会社の判断が何度も先送りされることに徐々に苛立ちはじめ、次第に嫌気がさして来た時でした。以前から知り合いだった東京下町で活動するある工務店からお誘いを受けたのです。そして同社に世話になることを半ば決めていた時期にあの惨劇が起こったのです。

 当時関西方面には仕事でつながりのある知人が多くいましたが、丸三、四日間は電話が不通で安否確認が取れませんでした。中でも一番お世話になっていた取引先の山上社長の事は、公私にわたるお付合いから芦屋にある自宅に泊めて戴いたこともあり、心底から安否を心配しておりました。

 大阪市中央区にあるオフィスで山上社長にお会いすることができたのは、震災から二週間を経た頃だったと思います。

 「生きた心地がせぇへんかったわ。」
 「社員の方は皆さん無事ですか。」
 「社員は皆無事やけど、その家族がなぁ。」

 と言ったきり、零れる涙をごまかすためか天井を見上げたまま、次に言葉がつながらなかったことを思い出します。

 再会後に訪れた被災地は、震災から二週間経過していたとは言え、街中瓦礫の山で、風で砂埃が舞っていました。時折、炊き出しの臭いに混ざり、焼け焦げた臭いが漂い、悲惨さを増幅させました。東京にいて、ニュースの映像からも充分過ぎるほどの惨状を認識していたつもりでしたが、今まで経験したことのない景色と臭気がしだいに僕を萎縮させ、現実と夢の狭間で無惨に変貌した風景をただ呆然と眺めながら、何か得体の知れない畏怖に背中を押されるように歩き続けた記憶が鮮明に思い出されます。

その3へつづく)  by: Shimizu

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「本当の家づくり」

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